レオンハルトの誰も死なず傷つかない話

誰かが死んだり傷ついたりする話はもううんざりなんだ。

近すぎる近所の店だと逆に常連になりたくない複雑な気持ち

ワンジャンハオ〜、レオンハルトです。


私には「ものすごく信頼のおける珈琲店」と言っている店が何軒かあります。
コーヒーの淹れ方がすごくストイックで本当に職人のようで、じっくり見入ってしまうんです。


その何軒かあるお店の一つが近所にあるのですが、そこの店主に常連として認識されたくない、という妙な恐れの感情があります。
いっそ覚えてもらって毎回ひと言ふた言世間話でもすりゃいいじゃないか、と、それもそうなのですが、なぜかあのお店は親しくなりたくないのですよね。

 


お店は小さい一軒屋、こぢんまりと品のある佇まいをして、近づくといい香りがする。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。」と言われて、一人で来ているのでカウンターへ座る。
で、カウンター越しにマスターの動きを息を潜めて盗み見る。
「あ、あれたぶん私の注文だ」とわかった時に、私はマスターの動きを殊更に注視し、こちらもなんだかピリリと緊張してくる。
豆を挽き、お湯の温度を測り、目と鼻を近づけ集中力を全結集して香りを確認しながら抽出、最後にスプーンで灰汁(あく)を掬いとると完成。
気温や湿度に翻弄されながら均一な品質のコーヒーを入れ続ける。
どの一杯にも手抜きせず全力でドリップするその様子には、毎回チップでも置いていった方がいいのではないかと思わされます。

 


思うに、近所にあるからこそいつでも気軽に行けるのに、そこで変に覚えられて毎回挨拶を交わさなければいけなくなるとしたら、気軽に行けるお店でなくなってしまうのですよ。
顔を覚えられたくないのだったらスタバやコメダなど大手に行けばいいのですが、それだと今度は味気ない。
あの人の淹れてくれるコーヒーだから飲みたいという、半ば"推しを応援する"、みたいな感情があって、推しとあんまり仲良くなると緊張感がなくなるじゃないですか?
遠くからそっと見守っていたい銘店、という感じであり、あまり通い詰めないようにしています。


お会計をして店を出る際に、「いつもありがとうございます」などと言われでもしたら、もう二度とそこには行けなくなってしまう、という恐れがある。
恐らく、マスターは私のそう言った気持ちを汲み取っているのではないかと思います。
認識されたくないという私の雰囲気をなんとなく感じ取り、本当は「この人何回かきてくれてる人だよな」と気付いていながら、わざとそっとしておいてくれているのではないかと。
覚えられていないならそれに越したことはないのですが、あのお方のホスピタリティはすごいものがあるので、その可能性が割とガチで否定できないんですよね…。

 


以上、私の妙な感情の話でした。
地下鉄から少し遠いのですが、気になる方にはこっそりお教えますので是非行ってみてください。
驚嘆しますよ、きっと。